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長崎市立村松小学校

春弥生,早春の息吹がそこここに漂うこのよき日に,多数の御来賓の方々並びに保護者の皆様方の御臨席を賜り,本校 第59回 卒業証書授与式を挙行できますことは,私どものこの上ない喜びであり,心から感謝申し上げます。
 さて,98名の卒業生のみなさん,卒業おめでとうございます。
 先ほどお渡しした卒業証書には,6年間のみなさん自身の頑張りと,小学校入学以来,ひたすらみなさんの成長を願い,細やかな愛情を惜しげもなく注ぎ続けてこられたお家の方の愛の心と,熱心に指導してこられた先生方の努力が込められています。どうかいつまでも大切にして欲しいと思います。私たち教職員一同,みなさんと出会えたことを喜び,小学校の全課程を修めて巣立つみなさんの門出をお祝いし,更なる成長と活躍を心から期待いたします。
 みなさんはこの6年間,勉強に運動によく頑張り,みんな立派に成長しました。特に,最上級生としてのこの1年間の活躍は実に見事でした。
 歓迎遠足や集団下校,縦割り遊びなどで熱心に低学年のお世話をする姿を見て,私はみなさんの心の豊かを知りました。
 運動会や課外体育の大会などで目覚ましい活躍をする姿を見て,私はみなさんのたくましさを知りました。
 心豊かにたくましく成長したみなさんは,この村松小学校の大きな喜びであり,誇りです。今,新たな決意を固めて中学校に進もうとしているみなさんに,はなむけの言葉を贈ります。それは,先日の六年生を送る会で,先生方が全員で合唱した歌の題名でもある「世界に一つだけの花」という言葉です。
 江戸時代の俳人,松尾芭蕉の句に,
 「草いろいろ おのおの花の 手柄かな」というのがあります。
 『秋の野原に,いろいろな草がさまざまな花をいろとりどりに咲かせいる。その一つ一つがどれをとっても同じではなく,個性的で美しい。まさに花それぞれの手柄である』という意味です。名前さえ知られていない草も,時季が来ると自分の花を咲かせます。
「世界に一つだけの花」の歌の中に『名前も知らなかったけれど,あの日僕に笑顔をくれた 誰も気付かないような場所で 咲いていた花のように,そうさ僕らも世界に一つだけの花一人一人違う種を持つその花を咲かせることだけに一生懸命になればいい』という歌詞があります。みなさんはこれから中学校に進むのですが,人生に本当に必要なもの,例えば,たくましい体,豊かな心,確かな学力,生きる力,生涯の友などは全てお金では買えません。親が子どものために作ってあげることもできません。人生に本当に必要なものは,苦労して苦労して自分で掴み取っていかなければならないものばかりです。どうかいろいろなことに挑戦してください。きっとその中でキラリと光るものに出会うはずです。それこそがあなたにふさわしい,他人とは違ったあなたの手柄の花の芽なのです。自分を信じ,いろいろなことに挑戦してあなたにふさわしい世界に一つだけの花を咲かせてください。
 さて,保護者の皆様に申し上げます。皆様は今,お子様の幼かった入学の頃に思いを馳せ,また,凛々しく成長された今日の姿を御覧になって,さぞかし感慨もひとしおのものがおありであろうと拝察いたします。お子様の御卒業,誠におめでとうございます。お子様が卒業されても,地域のよき理解者として,これまでと同様に本校の教育活動に御理解と御支援をくださいますようによろしくお願いいたします。
 最後になりましたが,御来賓の皆様には,御多用な中に巣立ち行く98名の卒業生に,祝福と激励を賜り,誠にありがとうございました。卒業生とともに厚く御礼申し上げます。
 名残は尽きませんが,98名の卒業生の前途に幸多かれと祈って,スピーチ挨拶といたします。 
  平成18年3月16日
                   長崎市立 村松小学校長 福 田 義 之
参考までに
長崎市立村松小学校HP
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中央大学

本日は2005年度中央大学附属高等学校卒業式に当たり、来賓として学校法人中央大学総長永井和之先生、常任理事田口純輔先生、理事萩原静夫先生、経済学部長松丸和夫先生、並びに本校同窓会会長加藤孝様にはご多用のところご臨席を賜り、心よりお礼を申し上げます。また、本校後援会長山川仁様はじめ、本校に縁の深い皆様が多数ご列席下さいましたことに感謝を申し上げます。皆様を迎えて今年度卒業式を執り行うことは私どもの大いなる喜びでございます。
さて、今日晴れて卒業を迎えた男子生徒265名、女子生徒255名、計520名の卒業生ひとりひとりに心からお祝いを申します。ただいま担任からひとりひとり名前を呼ばれ、元気に返事をして起立する姿を目の当たりにしました。あなたがたの喜びに満ちた、誇らしげな表情を見て大変嬉しく思いました。また、3年間物心両面から支えてこられ、今日のよき日をお迎えになった保護者の皆様のお喜びもいかばかりかと存じます。心よりお祝い申し上げます。
ところで、今年も卒業生の90%を超える卒業生が中央大学への推薦を得て、この4月から中央大学で学ぶことになります。第一希望の学部・学科に進むことができた生徒がいる一方で、心ならずも第一希望が叶わなかった生徒もいます。各学部からの推薦受け入れ枠が厳然としてある以上、本校としては生徒の3年間の成績を根拠として、生徒の希望に応じて推薦をせざるを得ないのが実情です。
しかし、言うまでもないことですが、この推薦結果で将来が決まるものでもありません。例えば、大学卒業時の就職状況を見るならば明らかなことですが、最も重視されることは、就職希望者が大学でどのように学んだか、活動したかということです。学問を中心とする大学生活にいかに積極的に自分から取り組んできたかが第一に問われるのです。言い換えれば、自らの将来を見据えて、いかに真剣に取り組んできたかが問われるのです。そのように考えて、これから4年間の大学生活を将来にどのように繋ぐことが出来るかはひとえに自分の心がけに懸かっているのです。このことは、第一希望の学部・学科に推薦されたかどうかに関係なく大切なことです。希望が叶った諸君も叶わなかった諸君も、等しく大きな希望を抱いてそれに邁進してもらいたいと思います。
さらに、他大学進学を希望する生徒たちもいます。今年度は中央大学にはない学部・学科を希望する生徒たちが例年になく多かったことが目につきます。それぞれ理由があってのことですが、希望が叶うことを願っています。
また、今年は3度目の女子卒業生を送り出すことになります。私たちの期待に違わず、第1回および第2回女子卒業生たちは大学で勉学に励み、周囲の評価も大変高いことを私どもは大変嬉しく、また誇りに思っております。第3回卒業生であるあなた方がその評価を更に高くしてくれることを大いに期待しています。
ところで、私は校長として初めてスピーチ挨拶を述べたのはあなた方の入学式でありました。3年前のことでした。覚えてくれているひとがいるかどうかは知りませんが、よい習慣を身に着けることの重要性について述べました。つまり、私たちは決心とか、決意をすることは比較的容易なことです。けれども、決意によってのみ、事が成就するとは限りません。決意に基づく行為が習慣化され、当たり前のこととして行われることなしに、大きな希望も夢も現実にすることは出来ません。習慣が私たちのこころとからだに大きな影響を及ぼします。私たちは個性であるとか、才能であるとか、そのようなものは生まれつきのものであると考えがちです。しかし、個性も、才能も、その多くの部分が後天的に形作られるということを忘れてはなりません。習慣は第二の天性である、とはそういうことを意味しているのです。おおよそ以上のようなことを述べましたが、もうすぐ大学生になる卒業生諸君にそのことを改めて強く言っておきたい。
実を言えば、よい習慣こそ教育の根源であると元々述べているのはフランシス・ベーコンです。その著書『随想録』(1625年刊)のなかの「習慣と教育について」と題する1章においてです。私はこの書物を辞書を引き引き大学生の時に読んで大きな影響を受けました。その後40数年経つうちに、あたかも自分で考え出したことのように錯覚するようになっています。古典とはそういうものを言うのであると思います。ベーコンは約400年前のイギリスの哲学者です。学問上の論文を書くのであれば、引用を正確にすることは当然のことです。しかし、ベーコンのこの考えは私の一部となっていると言っても言い過ぎではありません。けれども、それも引用と言わなくてはならないのか、とふと思います。そして、やはりそれは引用なのだと確信します。つまり、私たちは数え切れない引用で自己というものを形成しているのだ、と。さらに言えば、ベーコンの考えもある意味で引用なのです。ベーコンはイタリアの政治哲学者マキャベリを引用しているのです。私はベーコンの文章を自分の一部として引用することにより、彼と同じ意識を生きることが出来ると考えるのです。そこに400年の時の隔たりも、文化・言語の違いもほとんど問題になりません。古典に学ぶ、歴史に学ぶとはそのようなことを言うのであろうと考えます。遠い昔に出版された書物が古典なのではありません。古くから読み継がれて、今もなお生命を保っている故に読まれるから古典なのです。人生で書を読む時間は限られています。そして、世の中には溢れるばかりの新刊書が流通していますし、勉強の必要に迫られて読む書物もたくさんあります。しかし、古典に巡り会って、自分のすべてをぶつけて読むことを心がけてもらいたいと希望します。手あかの付いた言い方ですが、心の糧となる書物を1冊でも持つことが出来る人は幸せと言えるでしょう。
世間では「今の大学生は…」、「今の若者は…」などとよく言いますが、気にすることはありません。エジプトの遺跡発掘で出土した碑文を解読したら「今の若者は…」と書かれていたという話もあります。そういう周りの人たちの言い草に幼児的に反発して、そのことによって存在感を示すだけの若者であってはわびしい気がします。本当にしてもらいたいことは、自己形成、自己実現を通して存在感を示して欲しいのです。そのためにも古典を読んでもらいたいと思うのです。
喜ばしい卒業式の場に相応しいことではないと承知していますが、苦言をひとつ申します。それは本校の地元での評判です。あまり芳しいものでないことはあなた方もよく知っていることでしょう。世間一般にはよい評判を得ているにもかかわらず、近所ではそうではないということはひとつ考えてみてよいことです。もちろん、学校の指導に不足している点があることは承知の上で申します。学校に寄せられる苦情の大半は生徒諸君の公共の場でのマナーの悪さについてですです。言うまでもないことですが、マナーのよい生徒が大半です。従って、そのような苦情を個々に取り上げれば、それほどのことではないという見方も可能かもしれません。しかしながら、人間関係にこれを当てはめてみればそうではないことが分かるでしょう。「近きより」ということばがあります。近いところで評判を下げれば、その人の信用は台無しとなります。大学は高校よりも範囲が広くなり、社会に出ればさらに広くなります。それに従って、評価は厳しさを増すのです。自分を律するという精神をしっかりと持って、大学生活を充実したものとされんことを強く望みます。
本校が謳う自由の精神は何者にも囚われない精神の活動を意味すると同時に、自由とは責任の別名なのであることもあなた方は学んでくれたことと信じます。中附スピリットである自由と責任を身に纏い、目の前に洋々と広がる未来に向けて、堂々と突き進んでくれることを私は教職員一同と共に信じています。
終わりにもう一度あなた方ひとりひとりに卒業のお祝いを申して、私の餞のことばとします。
参考までに・・・
中央大学HP
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大阪府立北野高校

 淀川の堤にも春の息吹の感じられる今日の佳き日、ここに大阪府立北野高等学校第55回卒業証書授与式を挙行することができますことは、誠に喜ばしい限りであります。
 最初に、公私ご多用中にもかかわりませず、晴れの卒業の日を迎えた若人のためご臨席を賜りました、大阪府教育委員会から竹村首席指導主事様、六稜同窓会副会長 山本次郎様、PTA役員をはじめ多数のご来賓の皆様には、衷心よりのお礼を申しあげます。また、皆様方には、平素から本校教育の推進に格別のご理解とご支援を賜っておりますことに対しまして、この場をお借りして改めてお礼を申しあげます。
 次に、本日ご列席をいただきました保護者の皆様方に心からのお祝いを申しあげます。皆様のお子様方は、校舎改築に伴い生じた様々な不便さに屈することなく、それに倍する青春のエネルギーを見事に燃焼させ、北野のスピリッツである何事にも全力を傾けることを体現し、心身ともに大きく成長されました。一方、この時期は、若人のありあまるバイタリティーの故に、人生における疾風怒濤の時代と形容されているところであり、保護者の皆様方には、時にご苦労もおありになったのではないかと拝察申しあげます。そうしたご苦労が本日、このように頼もしい若人の姿として実を結びましたことに対して、心からの敬意とお祝いを申しあげます。誠におめでとうございます。
 さて、卒業生諸君、ご卒業心からおめでとう。
 難関北野高等学校に入学して以来、真理と正義を愛する人格を涵養するという教育方針のもと、学業に、学校行事に、そして部活動にと、ある時は切磋琢磨し、また、ある時は時の過ぎるのも忘れ、友と語り、涙し、力を合わせ、本日めでたく卒業の日をむかえた諸君一人ひとりの心には、本校で過ごした歳月が走馬燈のごとく、感動、感激としてよみがえっていることと思います。
 卒業式は、諸君一人一人にとって自分の将来への夢や希望に胸ふくらませ、自覚も新たに、力強く、たくましく、我が国の各分野におけるリーダーとなるべく新たな努力への決意を固める最初の日であることを、深く心に刻むよう望みます。
 また、同時に諸君を待ち受ける時代は、かつてないほど人類の叡智を必要とする閉塞状況にあることも直視する必要があります。広く世界を見れば、国と国との、あるいは民族と民族との止むことのない抗争、エネルギーの問題、地球規模の環境問題等々、解決の困難な課題が山積しています。
 我が国をみれば、経済をはじめ社会の様々な分野において従来の枠組みが制度疲労を来たし、新たな構築に向けた生みの苦しみの渦中にあります。
 そのような時代であるからこそ、130年という連綿たる歴史と伝統を有し、誇り高き六稜の一員である諸君は、将来それぞれの進む分野において自己の真価を存分に発揮し、時代の要請と期待に応えてくれるものと確信をしています。そのために、諸君に二つのことをお願いしたいと思います。
 その一つは、諸君のうちに未だ秘められている優れた自分を発見し、磨きをかけ伸ばすこと、すなわち、「未だ出会わぬ自己」を発見する努力を続けることを切に願います。人には一人一人に備わったそれぞれの個性があり、秘められた長所があります。諸君は本校における学校生活の中で自分の才能を発見したことと思いますが、そのことに満足することなく、新たな学びや体験を自ら求め、その中からそれぞれの長所を改めて見いだし、人生の目標に向かって日々努力を重ねて下さい。
 二つ目は、将来を展望し、柔軟な発想と心をもって生きて欲しい。現在が停滞しているからこそ、将来の我が国の発展は諸君の今後の努力にかかっています。些事にとらわれることなく大局的に着眼する力、冷静かつ客観的に判断する力、時代の移り変わりを直視し、幅広く知識を吸収し、知識を知恵に代える力が求められています。常に自分の心を大きく開き、創意工夫への努力を怠ることなく、自分らしさを発揮するとともに、他者にも気配りのできる、厳しさの中にも思いやりのある温かい心を忘れず進んで下さい。
 さて、本校において諸君は、同級生を始め、先輩、後輩と、そして先生方と、これからの人生において、時には懐かしく思い出され、時には励ましとなるであろう、貴重な財産である多くの良き出会いを、そして同時に忘れがたい一つの永遠の別れを経験しました。
 あなた達を最後の教え子としてみまかられた野尻和正先生は、漢詩に託して人間を見つめ、人生を語り、諸君への授業に命の炎を悔いなく尽くされました。妥協をよしとせず、教えることにこよなく一徹であった先生の姿の内には、常に諸君の存在がありました。
 先生の誇りは、天下の英才にふさわしく、諸君は憧れることの真の意味を理解する生徒であることでした。文豪ゲーテの詩に、「ただ憧れを知るもののみ、わが悩み知り給う」という一節があります。人間であり、若者であるからこそ、悩みや迷いを持つのであり、それは、より高いもの、より美しいものへの憧れを心の内に秘めているからこそ抱くものです。諸君が、これからの長い人生において、理想を追求する心をいつまでも忘れないようにとの願いをこめ、憧れ、すなわち「憧憬」という言葉を野尻先生とともに諸君に贈り、スピーチ挨拶の結びとします。
平成15年2月28日
大阪府立北野高等学校
校長 中垣 芳隆
参考までに・・・
大阪府立北野高校HP
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麻布大学

平成18年度の卒業証書・学位記授与式を挙行するにあたり、学長として一言ご挨拶申し上げます。
本日ここにめでたく獣医学部・環境保健学部及び獣医学研究科・環境保健学研究科を卒業あるいは修了される皆様にとっては、 明日からは実社会での活躍が期待されているところでありますが、皆様の人生の次のステージである実社会の現状はと申しますと、 見る視点によって、さまざまな評価ができると思っております。
地球規模でみますと、やはり温暖化による地球環境の悪化というものは、人類にとって受け入れがたい事実として捉えることができます。 この地球の温暖化現象は、ある意味では科学の発達によりもたらされたとも言えるのではないでしょうか。
科学の発展は、究極的には人類の幸福を念頭において行われておりますが、我々人類が科学の力によって便利となった反面、 他の生物に対して、あるいは地球環境に対しては、いかがでしょうか。生態系をはじめとする地球環境に、 負荷をかけすぎているのではないかと思われる現象が、出現してきていることも、事実として認識する必要があります。
また、21世紀においてこのような問題を解決できるのも、やはり科学の力であることは言うまでもありませんが、 同時に私は人間の心ではないかと考えております。
2年前になりますが、「もったいない」という言葉が、アフリカから逆輸入されました。久しく日本人が忘れかけていた言葉で、 見方を変えれば物質優先の社会を批判する言葉とも捉えることができます。 何故かこの言葉に接したとき、清清しさを感じたことが思い出され、そして、かつての日本にはそういう時代もあったと、 過去形で言葉を認識した自分自身を省みたこともありますが、今になって思うに「もったいない」という言葉は、 心に余裕がないと出てこない言葉ではないかと思っております。 日本では忘れられかけた言葉というより、社会的に余裕がなくなり発せられなくなった言葉と、表現できるのではないかと考えたりもいたします。
話は少し変わりますが、今年の卒業生に贈る言葉として「考える力」を取り上げ、本日お手元に渡っている学園情報にも掲載いたしております。 この「考える力」はある本の序章に「人類がこの地上に生を授けられたとき、他に類をみない特権を与えられた。 それは"考える力"である。この力が文化を生み、文明を生んできた。 しかし、その一方で壮絶な戦いの歴史をも生んできた。考える力が"思索"へと昇華されても、戦いの歴史は途切れていない。 思索がさらに深まって"哲学"が生まれても、戦いの歴史にピリオドは打たれなかった。それどころか、巧妙な破壊の歴史まで加えてしまった。 私たちは、いまだ、迷宮のなかでさまよっているのだ。いでよ、迷宮から救い出してくれる哲学者!」このような文章が記載されております。 私は皆さん全員に哲学者になってもらいたくて、この文章を紹介するのではなく、人は考えることで成長するということを伝えたいからであります。 18年度の卒業生を送るにあたり、皆様には、自分は何ができるか、何をすべきかを常日頃より考え行動されることを切に望みます。 また、本日の式には本学を卒業されて50年になる先輩たちが、皆さんを祝すため特別に出席されております。皆様に代わり御礼申し上げスピーチ挨拶といたします。
平成19年3月15日  本学百周年記念ホールにて
参考までに・・・
麻布大学HP
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石川県立能登青翔高校

ここ、青翔台の大地に春の息吹が漂い、今年も新たな希望に満ちた春が巡ってきました。本日は、ご多忙の中能登町長様をはじめ、多数のご来賓や保護者の皆様方をお迎えし、第三回卒業証書授与式を挙行できますことは、生徒、職員一同にとりましてまことにありがたく大きな喜びとするところであります。ご臨席の皆様方に、心から感謝申し上げます。
ただいま、卒業生五十名に卒業証書を授与いたしました。
卒業生の皆さんは、明日から新しい生活への希望を胸に、それぞれの進路へと旅立ちます。この門出に当たり、心から幸多かれと祈念いたします。
また、この間、陰になり日向になって、お子様を育み、支えてこられた保護者の皆様方には、改めてお喜び申し上げます。ご卒業、誠におめでとうございます。
卒業生の皆さんは、青翔高校の良き校風である「自律」・「創造」・「博愛」・「実践」の精神を受け継ぎ、学習や部活動をはじめ、学校行事や課題研究などに熱心に取り組み、知力と体力と気力を育んできました。特に、本校の長年の夢でありました第一回体育祭が、県下で二番目と言われる広大なグラウンドで、昨年九月に地元保育園児を招き、生徒一人ひとりの躍動感に溢れた競技が、後輩や園児達に新しい風を吹かせ、素晴らしい感動を残してくれました。この真摯な姿は、後輩に必ずや引き継がれるものと思います。また、グラウンド周囲には卒業記念樹として、それぞれの思いを込めて、桜の苗木を約140本植樹致しました。今朝、早めに登校して皆さんが植えた桜の木を見てきましたが既に何本かは小さな蕾をつけており四月にはきっと小さな花を咲かせてくれるでしょう。さらには、五年後、十年後にはたくさんの花を咲かせ地域住民や生徒達の心を癒す憩いの場所ともなるでしょう。皆さんの高校三年間の生活がどのようなものであったかは別として、共に笑い共に苦しみ成長してきた確かな足跡がこの
青翔台地に残ります。
ここで、皆さんの洋々たる門出にあたり次のことをお話しします。
まずは、二宮尊徳という人物についてです
尊徳は、江戸時代に農業改革者の第1人者として活躍され、現代農業の基礎を築かれた方です。彼は、13歳で父の死に、16歳で母の死に遭遇し、そのため一家は離散してしまいます。そこで尊徳は二宮家を再興するため、誰も手をつけなかった荒れ地を開拓し、そこに菜種を植え、菜種油を造ってコツコツとお金を貯めました。彼は、働きながら読書に励み、その努力は見事に結実し、23歳の時独力で一家を再興しました。この経験に基き、尊徳は、農民たちに先ず、自分の身辺の簡単に出来ることから立派にやり遂げなさい。それが成し遂げられれば、一段階先に進むことが出来ると言い続けております。この話は、「夢」や「希望」を持つほど重要なものはない。そして、一歩一歩着実に努力を重ねることによって、それは叶えられるということを私たちに教えてくれています。過去に体験した多くの苦難は、実はその時々を真剣に生きた証で、困難を乗り越えるためのエネルギーの根源ともなります。目標を立て、努力し、見事にそれを実現した人の生き方に、私たちは多くのことを学ぶことができます。人生には教科書はありません。皆さんの出会う人が教科書となり先生となります。多くの人に出会って、多くのことを学んでほしいと思います。
いま君たちの多くは、これから社会人としてやっていけるだろうかと不安を感じているでしょう。しかし、甘えは許されません。社会人に要求される姿勢や常識がどんなものかをしっかり把握をして生きて行く必要があるでしょう。 
そこで、社会人としての最低の心構えについて三点お話をいたします。
一つ目は、「時間を守る」ことです。人と約束をした時間を守ることは社会人としての基本中の基本です。時間にルーズだと、一緒に働く人の時間を無駄にするだけでなく、取引先などに損害をあたえてしまうからです。
二つ目は、「人の話をよく聞く」こと。これは、同僚や上司、顧客と円滑にコミュニケーションをとり、正確に仕事をするための最低条件です。
三つ目は、「主体性・自立性」です。これは非常に大切な要素です。
高校生の時期は、先生の話を聞き、理解するという受け身の立場でした。しかし社会に出ると、積極的に学び成長する姿勢が求められるのです。とりわけ「指示待ち社員」は敬遠され、自らの意思で行動できる人材が求められています。こうした意識を持つことによって、自分に自信をもち、意欲に満ちた社会生活を築いていくことが出来ます。
これからの社会はますます情報化、国際化、個人格差が進みます。そうした変化の激しい社会にあって、自己と他者をともに生かすことの出来る広い心で生きていくこと期待します。
終わりに当たり、保護者の皆様にお礼とお願いを申し上げます。この三年間、本校の教育活動に絶大なるご理解とご支援を賜りましたことに心から感謝申し上げます。三年前にお預かりしたお子様は幾多の試練に耐え立派に成長致しました。自信を持って皆様の元へお返し致します。
「親」という字を分析すれば「木の上に立って、子供が歩いていく先を見る」とも解釈出来ます。卒業したとはいえ、社会的にはまだまだ経験が足りません。人生の先輩としてお子様達を温かく見守ってください。
今、全国的に教育改革の進行する中、本校も自己変革の様々な施策を展開し、卒業生が母校として自慢できる学校づくりに邁進していくことを約束致します。
また、本日ご臨席を賜りましたご来賓の皆様方におかれましては、本校への今後ますますのご支援ご協力をお願い申し上げスピーチ挨拶と致します。

平成十九年 三月 二日

石川県立能登青翔高等学校  校 長  田 畑 哲 郎
参考までに・・・
石川県立能登青翔高校HP
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足利工業大学

これは当時の学長、吉田氏が卒業生に贈ったスピーチ挨拶です。
平成○○年度足利工業大学学位授与式に当り、学長として一言ご挨拶申しあげます。ご多忙中のところ本学卒業生のためにご臨席いただいたご来賓の方々に厚くお礼申し上げます。お子様方をここまではぐくまれ、ここに晴れの学位授与式を見ることのできた保護者の皆様には、心からお祝い申し上げます。肩の荷を下ろされたことと存じます。
 卒業生諸君、卒業おめでとうございます。諸君は本学において、4年の学部または2年の大学院修士課程を卒業あるいは修了し、本日晴れて学士(工学)または修士(工学)の学位を取得されました。ここまでやってこられたことに敬意を表します。私は諸君を誇りとします。
 工学部を卒業された諸君は、本学において、教養教育、専門基礎教育、及び専門工学教育を受けました。この教育によって、諸君には高校卒業だけでは得られない付加価値がついたはずです。大学院を終了された諸君は、大学院指導教員のもとで修士論文の研究に励み、見事論文審査に合格し、専門の学位を得ました。この間の精進は社会に出てから必ず役立つと思います。
 諸君は、本学で学んだことによって大きな成長を遂げました。本学で学び、本学を出たことに大きな自信を持ち、これを誇りとしてください。本学を出たことは諸君の将来において必ず役立ちます。
 諸君の多くは、これから実社会に出て、活躍することになります。今まで月謝を払って教えてもらっていた学生の身分から、これからは給料をもらって働くプロの立場になります。それなりの心構えが必要です。諸君に対しては、新しい社会に入ったときは、初心に返り、一から真剣に取りくむことをお薦めします。その社会で何が必要かは、その社会に入ったときに教えてくれます。しかし、自分でも考え、さらに信用できる先輩に聞いて必用なことを実行することが大切です。これによって、諸君はその社会での第一歩を着実に踏み出すことができます。
 会社は給料を払いますので、諸君を遊ばせて置いてはくれません。かなりきつい仕事が待っていると覚悟してください。しかしこれも考えようです。前向きに仕事に取り組んで、会社の期待以上の事をしてください。達成感を持つことができます。上司の信頼を得ることができます。大切に扱われます。
 教員と企業の方々との就職情報懇談会や学生諸君と企業との学内企業セミナーで企業の方方の話を伺う機会があります。「足利工業大学の卒業生は、素直でよく働く」と多くの方々が誉めてくださいます。諸君の先輩たちはよき実績を残してくれています。諸君は、自然体でも十分に社会に通用します。しかし、私は諸君によりよい活躍をしてもらいたいと思い、あえてアドバイスする次第です。
 私は「良き師良き友」という言葉が好きです。諸君は本学において何人かの良き友を得たことと思います。相手のために親身になって考えてくれる友人はそう多く出来るものではありません。こちらがそのように思って長く付き合って初めて出来る友人です。このような友人は一生の宝です。卒業すると仕事が忙しくなり、大学時代の友人とは一時疎遠となります。しかし、永い一生の中でこのような友情は必ず復活します。
 諸君は本学において良き師を得たでしょうか。修士論文や卒業論文の研究で親身になって世話をしてくださった先生には一生懐かしい気持ちを持ちます。そういう思いがあれば、研究室のOB会に積極的に参加して良き師良き友と旧交を温めてください。少人数の専門ゼミや教養ゼミについても同じようなことがいえると思います。
 学生時代もそうであったと思いますが、世の中では人との付き合いが大切です。積極的に人と話が出来るように心がけてください。人と協調して仕事をすることも大切です。本学の建学の理念は「和の精神」です。この精神を世の中で役立ててください。
 人から相手にしてもらうためには、教養を身に付けることも大切です。社会に出てからも教養を身につけるよう努力し、内からにじみ出る教養によって尊敬されるようになってください。
 また、長い人生において健康が大切です。どんなに忙しくても健康を損ねては何にもなりません。自分自身に合った健康法を実施して、充実した生涯を送ってください。
 最後になりますが、私の個人的な信条について触れさせていただきます。私は二宮金次郎という人の信奉者です。先生の残した「至誠・勤労・分度・推譲」や「積小為大」という教えを実行していきたいと思っています。卒業生の諸君にもお勧めしたい教えです。至誠とは、良き友に誠を尽くすことです。勤労とは、自分がよく働くことです。分度とは、得た収入の範囲内で生活することです。推譲とは、分度で蓄えたものを社会に還元・奉仕することです。積小為大は、小さいことを積み上げて大きな成果とすることです。以上、卒業生諸君に対する足利工業大学学長の餞の言葉といたします。卒業おめでとうございました。
参考までに・・・
足利工業大学HP
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専修大学

今年度の式典におきましては、大学教育の幅の広さを示すことのできる4種類の学位を授与することができました。学部では4431名が卒業し学士号を取得しました。大学院では、123名が修士号を取得し、18名が課程博士号を取得しました。さらに、専門職大学院である法科大学院では、第1期生である54名が法務博士号を取得しました。学部において晴れて卒業を迎えられた皆さん、並びに大学院において研鑽され修士、博士となられた皆さん、専修大学を代表し、心からお祝い申し上げます。また、式典に参列されているご家族の方々に対しても、お慶び申し上げます。これまで、本学の教育方針ならびに運営について、ご理解と多方面にわたるご支援をいただきましたことに、厚くお礼申し上げます。
  昨年度から学部の卒業式と大学院の学位記授与式を取りまとめて、ここ日本武道館において合一の式典を挙行しておりますが、総計4626名の学位取得者が相集い、本学の教育の幅の広さと力強さを体感しつつ、これから専修人としての自覚を持ち、それぞれの目標に向けて一斉に学窓を飛び立って行く光景は、本学の大学力、総合力のさらなる向上を強く予感させるものであります。
  学部あるいは大学院において皆さんは、これまで何を学び、何を体得したでしょうか。人様々でしょうが、話すべき内容を持っている諸君は、胸を張って学窓を飛び立ち自己実現に邁進して行くことになるでしょう。大学教育によってすでに自己の殻を破り、自己の進むべき道を見定めていることは、教育した私達にとっても達成感を覚えます。しかし、今話すべき確たるものがないという諸君も、そう悲観することはありません。自己探求に要する時間には個人差があるのです。前向きな姿勢があれば、間もなく自己の進むべき道が目の前に広がってきます。先ほどの問いかけは、実は、大学教育の本質に拘わる大きなテーマでもあります。諸君は、これまでの大学教育によって自然と「ものの考え方」が身についているはずですし、これからの人生の節目、節目に大学教育で与えられた羅針盤が威力を発揮していくことになります。大学で教授されたことは、社会に出てすぐ役立つスキルというよりも、必要なスキルを作り出すための考える力を育成することに力点がありますので、教授されたことが花開くには少し時間の流れが必要です。
  皆さんに対する先ほどの問いは、大学で教育する側には、「大学では何を教授し何を体得させようとしているのか」という問いに転化されます。本学には、確たる大学論があるのかということを問いただすことになります。大学も社会の変動に大きな影響を受けます。大学で何を教授し、大学が社会的にどのような役割を担うかは、社会の変動とともに推移します。しかしながら、私学の場合、いかなる状況にあっても建学の精神を忘れてはなりません。
 本学が創立されてから今日に至る126年の間には、関東大震災や戦禍にさらされ大学の存立自体が危うくなった局面に遭遇しましたし、専門学校令から大学令への移行、さらには新制大学への切替えなど、大学制度の変革の嵐の中にあっても、学窓に灯火を点し続けてきました。専修大学の126年の歴史と伝統には、創立者たちの高等教育に対する熱き思いに共感し、その建学の精神を受け継ぎながら大学の発展に鋭意尽力した人々の生きざまが凝縮されています。
  本学の創立者である相馬永胤、田尻稲次郎、目賀田種太郎、駒井重格の4先生は、明治維新前後の動乱の中で生き抜き、国費や藩費を得てアメリカに渡りました。コロンビア、エール、ハーバード、ラトガースの各大学で勉学し、約8年間の留学生活を終えて、明治13年に本学の前身である専修学校を創立しました。創立者たちは、異国の地において、自分たちが受けた恩義や学恩に報いるために何をなすべきかを考えました。その結論が、新時代を担う人材を高等教育によって育成するということでした。創立者たちは、留学によって得た最新の知見を社会に還元し、近代法の黎明期にあった祖国日本の発展に寄与しようとしたのです。本学の建学の精神は、専門教育によってわが国の人的基盤を整備し、市民社会の屋台骨を支える人材を市民レベルにおいて養成していくということに集約されましょう。
 このような創立の背景を顧みますと、本学は、社会との相互作用の中で大学の役割を捉えており、実学的指向を持っていると言えますが、それにとどまらず、市民社会のあるべき姿を本学の知の発信として提示していくという高い志を持っています。このことは、21世紀において専修大学が何をなすべきかを考える際の指針になりました。本学は、現在、21世紀のビジョンとして「社会知性の開発」を掲げていますが、このビジョンは、創立者たちの建学の精神を21世紀に生かすためのものです。
 社会知性は、社会の諸課題を解決するための知的能力を言いますが、社会がどのような問題解決を求めているのかということに胸襟を開くとともに、社会のあるべき方向性を主体的に発信していくということが求められます。しかも、社会知性をもとに社会の開発を担う人材には、人間性と倫理観が備わっていなければなりません。人の痛みを理解し、喜びを共に分かちあえる人間でなければ、よりよき社会の発展は描けないのです。専修大学の学窓を飛び立つ諸君は、このような社会知性の開発の担い手であることを深く肝に銘じて下さい。しかも、専修大学の21世紀の歴史を刻んでいくのは、建学の精神を社会において発信していく諸君自身なのです。
  昨今の大地震や異常気象による災害などを目の当たりにしますと、自然の循環を度外視した人間本意の考え方を見直す必要があると思います。また、鉄道の脱線によって多数の死傷者を出した事件、小学生を標的とした殺人事件、耐震強度偽装事件などの出来事は、社会の安全基盤が崩壊しつつあることを感じさせます。価値体系が崩れ、規範意識が希薄になってきている今日の複雑化した社会において、市民社会の屋台骨を支える有為な人材を育成しようとした創立者たちの思いは極めて重要であり、本学の目指す社会知性の開発は、混迷した社会に光を与えるものと確信しています。
  本年4月からは、法学部では新設された政治学科がスタートし、商学部では名称変更されたマーケティング学科がスタートします。さらに、専門職大学院としては、会計専門職大学院の設置の検討がなされています。この数年間の社会知性に基づく知の発信によって、専修大学はさらに飛躍することになるでしょう。学窓を飛び立つ諸君、専修大学で学んだことに自信と誇りを持ち、社会知性の開発の実現に向け、それぞれの分野においてパワフルにかつハートフルに活躍されますことを期待し、第15代学長のスピーチ挨拶といたします。
参考までに・・・
専修大学HP
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02実例(参考に)

松山大学

小鳥のさえずりにも日差しにも春の訪れを感じる今日の佳き日に、多数のご来賓ならびに保護者の皆様のご臨席を賜り、平成十八年度松山大学・大学院学位記・卒業証書・学位記授与式を盛大に挙行できますことは、本校の光栄とするところであり、教職員を代表して心から御礼申し上げます。
 修了生および卒業生の皆さん、ご修了・ご卒業おめでとうございます。大学院修士課程では二年間、大学院博士後期課程では三年間、学部では四年間修学し、皆さんが本日こうしてご修了、ご卒業の日を迎えられたことに対して心からお慶び申し上げます。また、保護者の皆様におかれましても、感慨無量でさぞかしご安堵なされているものと拝察し、心からお慶び申し上げます。
 さて、修了生および卒業生の皆さん、修了または卒業に当たり、皆さんが入学式を迎えた時を思い起こしてください。このような式典に際しては必ず松山大学の歴史と教学理念について説明があったことと思います。これは、皆さんに自信を持って勉学に励み、卒業または修了しても実社会で誇りを持って活躍していただきたいこと、また、松山大学における教育研究が目指すものを理解していただき、松山大学の教学理念を生かして実社会において活躍していただきたいと願って行っているのです。本日もこの二点について、まず手短にお話しておきたいと思います。
 松山大学は大正十二年〔一九二三年〕に開校した旧学制による松山高等商業学校がその始まりです。本校は、松山市出身で大阪産業界の雄であった新田長次郎〔雅号温山〕、当時の松山市長であり、俳人正岡子規の叔父に当たる加藤恒忠〔雅号拓川〕、教育家であり、山口高等中学校長、大阪高等商業学校長、北予中学〔現県立松山北高等学校〕校長になられた加藤彰廉らの協力によって設立されました。長次郎翁は、高等商業学校設立の提案に賛同し、学校の運営には自らは関わらないことを条件に、設立資金として巨額の私財を投じて松山高等商業学校を創設しました。現在、文京町キャンパス内に、感謝の意を込めて三恩人としてそれぞれの胸像を設置しています。
 昭和十九年に松山経済専門学校と改称し、第二次世界大戦後の学制改革により昭和二十四年に商経学部[現、経済学部、経営学部]を開設して松山商科大学となり、その後、大学院経済学研究科、人文学部、大学院経営学研究科、法学部を順次開設して文系総合大学となり、平成元年〔一九八九年〕に校名を変更して松山大学となりました。昨春、五番目の学部である理系の薬学部と三番目の大学院である大学院社会学研究科を開設して、本学は名実共に総合大学となりました。さらに今春、四番目の大学院である大学院言語コミュニケーション研究科英語コミュニケーション専攻を開設して、教育研究体制をさらに充実しています。
 松山大学の教学理念は、初代校長加藤彰廉が提唱し、第三代校長田中忠夫によってその意義が確立された「真実」「忠実」「実用」の三つの実を持った校訓三実主義です。真実とは「心理に対するまことである。皮相な現象に惑溺しないで進んでその奥に真理を探り、枯死した既成知識に安住しないでたゆまず自ら真理を求める態度である。」と、忠実とは、「人に対するまことである。人のために図っては己を虚しくし、人と交わりを結んでは終生操を変えず自分の言行に対してはどこまでも責任をとらんとする態度である。」と、実用とは「用に対するまことである。真理を真理のままに終わらせないで、必ずこれを生活の中に生かし社会に奉仕する積極進取の実践的態度である。」と説明されています。咀嚼すれば、三実主義とは、教育研究においては真理を探究することはもちろんのこと、その真理を日々の生活や仕事の中に応用できるものにすること、また、組織において能力を発揮するためには信用・信頼される人格でなければならないことを説いていると考えます。
 皆さんを社会に送り出すに当たりまず期待することは、旧校歌にもあるように、この三実主義をわが身に体して実社会で活躍していただきたいということです。本年は、創立八五年目になりますが、この間に社会に送り出した卒業生は約六万人に達し、産業界を中心に教育界や官公庁などにあって、全国的に活躍し、高い評価を得てきました。これも卒業生の皆さんが、三実主義を体して活躍した結果であり、これが伝統になっていると確信しています。皆さんも伝統を守り、先輩たちに続いてご活躍ください。幸いにもバブル崩壊後、長く続いた不況からも脱しつつあり、就職状況も好転してきました。チャンスを生かして、更なる飛躍を遂げられることを望みます。景気には循環があり不況のときもありますから、その場合にも耐えられるように、実社会において必要なスキルや知識を絶えず修得してください。本学も環境の変化に適応させて、皆さんが実社会において必要となるスキルや知識の修得に貢献できるように、教育研究体制を整えてゆきたいと考えています。
 皆さんに対してもう一つ期待することは、今後生きてゆくうえでも目標管理を行っていただきたいということです。この四年間においても志を立て、目的や目標を持って日々努力した人はそれぞれに満足のゆく成果を納め、学生生活に満足されていることでしょう。今後実社会において活躍してゆく上でも、志を立て、目標や目的を達成するための計画を立案し実行してください。人生も企業活動と似ていると思いますから、Plan-Do-Check-Actionのマネジメント・サイクルで自己管理してください。「意志あるところ道あり」の精神で、決してあきらめないで、時には進んでゆけば道も見えてくることもあり、時にはリスクをとらなければならないと時もありますから、失敗を恐れず、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の精神で積極的に取り組んでください。長期的に自己管理できる固い意志を持って人生を歩めば、満足の行く人生を送ることができると思います。
 この卒業式には、在学中に交通事故に遭い、ハンディキャップを背負っても初心を忘れることなく卒業に向かって努力し、卒業式に出席している経済学部の木曽智子さんがいます。このように卒業式を迎えることができたのは、計り知れない本人の努力はもちろんのこと、ご両親や指導教授の鈴木茂先生を始め、関係者のご指導・ご協力の賜物と存じます。賛辞を送ると共に今日までご指導・ご協力いただいた関係者の皆様に心からお礼申し上げます。今後もこれまで同様、可能な範囲で目標を立て努力していただきますよう希望いたします。
 大学を取り巻く環境は少子化の影響もあって益々厳しくなってきましたが、環境の変化に適応し、校訓「三実主義」に基づいて教育研究に励むことにより、社会から信用・信頼され、卒業生と在学生を含む松山大学のすべての関係者が一層誇りを持てる大学になることを目指します。皆さんは今後卒業生・修了生によって組織される「温山会」の一員になりますから、温山会活動を通じても協力関係が築けることを期待し、最後になりましたが、皆さんがご健勝で社会人として世界的にご活躍いただけることを祈念してスピーチ挨拶といたします。
これは松山大学の森本校長が卒業式のスピーチ挨拶として読んだ物です。
とても長い文章ですが、松山大学を愛する森本校長先生の人柄が見て取れる文章ですね。
参考までに・・・
松山大学HP
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東京大学

 東京大学大学院に入学された皆さんに、東京大学の教職員を代表して、心からお祝いを申し上げます。
 本日、皆さんに東京大学憲章と東京大学アクションプランをお渡ししています。東京大学憲章には、全ての構成員が遵守しなくてはならない規範が書かれています。憲章はいわば東京大学の憲法です。一方、東京大学アクションプランは、私の総長任期中、2005年度から2008年度までの4年間に、東京大学をこのように変えたいと私が考えている構想をまとめたもので、いわば東京大学改造計画の設計図です。
  憲章は、容易に変えてはならない東京大学の基本価値を示し、アクションプランは、東京大学をこのように変えようという計画ですから、両者は一見対立するようですが、実は相補うものです。あたかも車の両輪のように、一方が他方を必要とするという関係にあります。憲章に書かれた基本価値を実現するためにこそ、東京大学は不断の自己変革を必要としているのです。私の総長任期はちょうど折り返し点を過ぎたところですが、私は、このアクションプランの実行を通して東京大学を変革し、そのことによって、より高い水準で憲章の精神を実現したいと考えております。
  「時代の先頭に立つ大学 世界の知の頂点を目指して」というアクションプランの副題に注目してください。この副題が、私の東京大学改造計画の目標を示しています。私は、東京大学を時代の先頭に立つ大学にしたいと考えています。そのために、東京大学のすべての構成員に、世界の知の頂点を目指して頂きたいと希望しております。本日大学院に入学される皆さんも、世界の知の頂点を目指して励んでください。それは、21世紀の日本を担う皆さんに最もふさわしい挑戦課題であると、私は確信しています。
 東京大学は今年創立130周年を迎えます。1877年に創設されて以来、東京大学の先輩たちは、欧米の模倣をしつつ、世界の一流大学の仲間入りすることを目指して努力し、今日を迎えました。多くの世界大学ランキングが示すように、東京大学は既に世界の一流大学の仲間入りを果たしています。しかし、これまで目指してきた世界の一流大学の仲間入りを果たすことと、今目指している、世界の知の頂点を目指すことの間には、きわめて大きな違いがあります。それは、追いつくことと先頭に立つことの違いです。他者を効率よく模倣すれば、追いつくことはできます。しかし、模倣では決して先頭に立つことはできません。世界の知の頂点を目指す皆さんにとって、目標は追いつくことではなく、他人を抜いて先頭に立つことでなくてはなりません。
 先頭に立つために必要な要素は、分野によって異なるでしょう。研ぎ澄まされた分析力を必要とする分野もあれば、体系的な総合力を必要とする分野もあります。しかし、共通に必要とされるものがあります。それは「先頭に立つ勇気」です。先頭に立つことは、前人未到の領域に足を踏み入れることを意味します。それは、知力だけでなく、勇気を必要とすることなのです。本日は、この「先頭に立つ勇気」について詳しく述べて、皆さんを東京大学大学院にお迎えする歓迎の言葉としたいと思います。
 
  私は、「先頭に立つ勇気」には、互いに密接に関連する3つの勇気が含まれると思っています。
 第一の勇気は、「孤独を恐れぬ勇気」です。
 皆さんが世界の知の頂点を目指すとき、真に挑戦する価値のある問題は、皆さんが解決策を知らないというだけでなく、世界の誰もが解決策を知らない問題です。それこそが最先端なのであって、そのような問題に果敢に挑戦することが研究者の生き甲斐だと、私は思います。
 しかし、多くの場合、その挑戦は同時に孤独感との戦いでもあります。世界の誰もが解決策を知らない研究課題だということは、仮に皆さんがそれを解決し、新しい知識を創造することに成功したとしても、その価値を分かってくれる人が、すぐそこにいるとは限らないということを意味します。しかも、学問は細分化しつつあるので、一つの研究者コミュニティの守備範囲は、急速に狭くなりつつあります。したがって、その新しい知識の革新性を評価できるコミュニティが、皆さんの身近に存在するとは限りません。皆さんの指導教員が、そのコミュニティのメンバーである保証すらもありません。せっかく大胆な挑戦をし、価値ある知識の創造に成功したとしても、なかなかその価値をわかってもらえない、孤独な時間を過ごさなくてはならない、ということが往々にしてあるのです。
 世界の知の頂点を目指す研究者は、この孤独感に耐えなくてはなりません。例えば、アインシュタインの相対性理論は、発表当時、理解できる人が極めて少なかったといわれています。それでもアインシュタインは、相対性理論が理解され、評価されていく過程に立ち会うことができました。しかし、存命中に評価を得られなかった人も少なくありません。例えば、1912年に大陸移動説を発表した気象学者アルフレート・ヴェーゲナーも、その一人です。大陸移動説はプレートテクトニクス理論の礎となった大発見です。しかし、1950年代になってようやく評価を得るに至るまで、ヴェーゲナーは命を永らえることができませんでした。
 このように、大きな発見をした人が、発表直後には評価されなかったという事例は夥しくあります。しかし、彼らは孤独感に押しつぶされることなく、自らの正しさを確信し、その発見を既存の知識体系と関連づけていったのです。「孤独を恐れぬ勇気」が「先頭に立つ勇気」の不可欠の構成要素であることを、まず申し上げたいと思います。
 「先頭に立つ勇気」に含まれる第二の要素は、「功を焦らぬ勇気」です。
 皆さんが研究者になると、研究成果を論文として発表し、世に問うことになります。論文発表は、自らが創造した知識と既存の知識体系とを関連づけるための最も有効な方法です。したがって、私は、皆さんが質の高い論文を多数発表することをおおいに期待しております。
 しかし、留意しておいて頂きたいことがあります。それは、論文発表は手段であって、目的ではないということです。論文発表は、皆さんが創造した知識を世界中の人々に理解し活用してもらうための手段です。それはきわめて重要ではありますが、論文発表自体が研究者の最終目的というわけではないのです。そのことを肝に銘じてください。
 このように申しますのも、最近、発表論文の数で研究者を評価しようとする傾向が顕著となり、論文発表を手段ではなく目的のようにみなす風潮がはびこるようになっているからです。論文数第一主義とでも呼ぶべき、こうした発想が支配的になると、様々な弊害が起こるようになります。一部の学術誌がジャンク・ペーパーとも呼ばれる質の低い論文に占拠されはじめているのは、その弊害の一例です。
 最も深刻な弊害は、功を焦った研究者が、捏造したデータや再現性が保証されていないデータに基づいて論文を書くという、研究者としての基本ルールに反する行為を行ってしまうことです。まことに遺憾ながら、東京大学も昨年、再現性が保証されていないデータに基づいて論文を発表した教員の処分を行いました。このことは、皆さんもご存知と思います。
 世界の知の頂点を目指す皆さんは、功を焦らないでいただきたい。功を焦って、自らの研究者生命を台無しにするようなことをしてはなりません。世界中で一人として解決策を知らない課題に挑戦し、答えを見出すまでには、長い時間が必要です。腰をすえて、本質的な新知識の創造を目指す努力を続けてください。論文数第一主義がはびこる中で、そうしたスタンスを守り続けることは、決して容易なことではありません。それは勇気の要ることなのです。その勇気を、私は「功を焦らぬ勇気」と呼びたいと思います。
 さて、「先頭に立つ勇気」の第三の要素は、「他流試合に挑む勇気」です。
 他流試合とは、学会やシンポジウムや、その他種々の機会をとらえて自分の研究を発表し、普段の研究室仲間以外の様々な立場の人々と、意見交換や議論をすることを指します。私は、これまで多くの学生を育ててきた自らの体験に照らして、若い研究者にとって他流試合がきわめて重要であることを知っております。他流試合は、若い研究者を確実に成長させるのです。他流試合では、自分と異なる見解に接することになりますが、とりわけ大切なのは、対立する意見と接することです。研究者は、対立する見解と接することで、自らの見解の弱点を知ることができます。それは、自らの見解をより完全なものにするための最良の機会を提供してくれるのです。
  対立する意見の接触は、しばしば論争に発展します。論争は、対立する意見の衝突を通じてより高次の真理に到達する機会です。ですから、研究者は決して論争を避けてはいけません。論争は、公開の場で理性的に行うことが、研究者の基本ルールです。未経験な若者にとっては、公開の場で論争することも、感情的にならないで論争することも、共に困難なことでしょう。その困難を乗り越えて、自らの感情を制御しながら公開の場で論争する経験は、若者を、研究者としても人間としても、急速に成長させるのです。その困難を乗り越える勇気が、私の言う「他流試合に挑む勇気」です。
 世界の知の頂点を目指す皆さんにとって、他流試合の場は、いうまでもなく世界です。お配りしたアクションプランをご覧頂ければお分かりのように、私は東京大学の国際化を推進しようとしております。その主要な目的は、東京大学を国際的な他流試合の場にしたいと考えるからです。今よりもはるかに多い海外の研究者が本学を訪れて、皆さんとの論争を求める、そういった環境を早く作り出したいと考えています。同時に皆さん自身も、海外に他流試合の場を求め、「他流試合に挑む勇気」をもって積極的に挑戦してください。
 学問的他流試合は、社会にとっても重要な意味を持ちます。それは健全な研究者コミュニティの形成に資するからです。健全な研究者コミュニティとは、多様な価値観を持つ研究者が集い、研究の倫理的妥当性について予め真摯な検討を行ない、社会からの謂れなき批判や規制強化の主張に対しては、一丸となって反批判を行う、そういった研究者集団を意味します。健全な研究者コミュニティを作り出すためには、他者の異なる価値観と共存できる寛容な精神を育むことが必要です。皆さんが世界の様々な場で他流試合に臨むことは、異なる価値観との出会いを通じて、それまで自明の前提としていた自らの価値観を相対化する機会を皆さんに提供するでしょう。それは同時に、他流試合の相手方にも同じ機会を提供することになるのです。
 他流試合には、いまひとつ重要な効用があります。それは知の構造化を促すのです。現在、研究はますます専門化し、学問領域は日々細分化されています。一方で社会には、地球環境問題に代表されるように、複雑で大規模なメカニズムと多様な側面をもった緊急課題が山積しております。これらの課題は、細分化された個々の学問領域の中で解けるものではありません。学問と社会の関係の現状を、大胆に要約すれば、学問の細分化と社会の複雑化の相克ということができましょう。
 知とは本来、さまざまな要素が密接に関係しあう構造的なものです。新たに創造された知識は、他と関連づけられてはじめて、利用可能になります。私は、学問領域を超えて知識を関連づけることを「知の構造化」と呼び、著書を著してその必要性を説き、さらに学術俯瞰講義をはじめとして、「知の構造化」実現のための試みを東京大学において展開してきております。「知の構造化」こそ、私たちの眼前に山積する、複雑で大規模なメカニズムと多様な側面を持った課題に挑戦し、解を見出すための大前提であると、私は確信しています。世界規模で展開される学問的他流試合は、研究の専門化や学問領域の細分化という不可避な傾向を乗り越えて、知を構造化するための、貴重な機会を提供してくれるはずです。
 皆さんはこれから大学院において知の創造に挑戦することになります。真に先端的な課題に挑戦してください。研究者の仕事はしばしば孤独なものです。先端的であるほど、孤独の度合いは深まります。研究の意義が理解されず、成果を得るのに長い時間を要し、その間周囲の冷ややかな目に晒されることにもなりましょう。皆さんは、「孤独を恐れぬ勇気」と「功を焦らぬ勇気」をもって、乗り切ってください。人類の知の境界を広げる作業は、いかに苦しかろうとも、わくわくする、何ものにも代えがたい体験なのです。
  そして、「他流試合に挑む勇気」をもって、世界という舞台で展開される他流試合に積極的に参加し、自らを高め、健全な研究者コミュニティの構成員として、その資質を磨いてください。
  皆さんが目指すべきは、日本の知の頂点ではありません。世界の知の頂点です。いま皆さんは、そのスタートに立っているのです。何ものにも代えがたい達成感が、やがて皆さんを祝福するであろうことを心から祈りつつ、私のスピーチ挨拶を終えることにいたします。
このスピーチ挨拶は2007年に東京大学総長の小宮山総長が読まれたスピーチ挨拶です。
「孤独を恐れぬ勇気」
「先頭に立つ勇気」
「他流試合に挑む勇気」
私は一番「孤独を恐れぬ勇気」に感銘をうけました。
わたしはもっと東京大学のスピーチ挨拶って堅苦しい事を言っているのかなと思いましたが、一般人の私が読んでも大きく納得出来るものでした。
参考までに・・
東京大学HP
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02実例(参考に)

龍谷大学

本日ここに卒業式を迎えられた皆さん、おめでとうございます。ご列席の来賓の方々、先生方や職員の方々と共に、心よりお祝い申し上げます。またこれまで皆さんの勉学を支えてこられましたご両親、ご家族の皆様にも心よりお祝いを申し上げます。
このたび学部を卒業される皆さんが本学へ入学されたのは2003年4月でしたが、その入学式において、私は、近世のはじめに現われた思想家フランシス・ベーコンの言葉を引いて、「知は力である」ということを申しました。知識が大きな力を持っていることは、「国民に知識があれば、もっと多くのことができるはずだし、もっと多くの物を手に入れられるはずなのに、知識がないから、それができない」という、ある発展途上国の大統領の嘆きのうちにも、それは語られています。ですから国民に知識をつける教育は発展途上国において最重要課題なのです。日本が敗戦の焦土から奇跡の復興を遂げることができたのも、日本人のほとんどの者が学校教育を受けており、教養と知識を身に付けていたからだと言われております。すばやい復興を可能にしたのは日本の教育でありました。
21世紀は、20世紀が知識の時代であったのに対して、情の時代、心の時代になると、しばしば言われてきましたが、近頃では21世紀は「知識基盤社会」であるということが、頻繁に言われております。知識基盤社会というのは、新しい知識・情報・技術が社会のあらゆる領域での活動の基盤として重要になる社会であります。このような社会がはたして良い社会かどうかは問題ですが、私たちは否応なく、そのような環境のなかに置かれております。皆さんは、この知識基盤社会に生きていくものとして、大学において新しい知識・情報・技術を身につける努力をしてきたと思います。知識基盤社会のような、知識なくしては生きてゆけない知識重視社会においては、高等教育機関としての大学は重要な役割を担うことになります。極端な言い方をすれば、大学で学んでおかなければ、知識基盤社会に適応していけないのです。大学で学んだ皆さんは、知識基盤社会に適応し得る者として大学を巣立っていきますが、知識は日進月歩であり、技術革新が絶え間なく生れます。皆さんが大学で学んだことも、やがて古いものとして通用しなくなるでしょう。したがって本学は、みなさんに旧来の知識を継承する能力だけではなくて、それを乗り越え、パラダイムの転換を図るような革新的な創造力を養うとともに、その急速な変化について行ける様な幅広い知識と柔軟な思考力を身につけてもらうよう努めてきました。したがって皆さんもそのような幅広い知識と柔軟な思考力を身につける努力をしたことと思います。
明治以来の日本の教育は、今日の日本の繁栄・発展を導くうえで、大きな成功を収めてきました。しかし今日報道される教育現場の荒廃や、凄惨な事件、親子間の虐待などは、かつてなかったことであり、それが高等教育の普及を前提にしている知識基盤社会で起こっていることに私は注意したいと思います。教育先進国であるはずの日本でも、発展途上国と同じく、教育が最重要課題になっているのです。
知識基盤社会において必要とされる知識は、本当に人間として身につけておかなければならないような知識なのか。すなわち豊かな人間性を養ってくれるような知識なのか。それは、いろんな情報機器を操るための、あるいは様々な社会の制度や仕組みを理解し利用するための、技術的な知識にすぎないのではないか。たしかに生活していくためには、必要な知識ではあるけれども、それを持っていることが、即ち立派な人間であるということではないように思われます。そのような知識を持っていなくても、人格的に立派な人は沢山いるのに、そのような人が生きて行き難い、そういう社会がはたして良い社会なのか。しかし否応なく私たちはそのような社会のなかにいなければならないのです。何故でしょうか。
皆さんが知識基盤社会のなかで、ふと「何のための知識なのだろうか」「何のための技術革新なのだろうか」と疑問に思われることがありましたら、そのときには、何が本当に頼れるものなのか、一体何が、自分が究極の拠り所となしうるものなのかを考えてみて下さい。そのとき知識基盤社会の有する過度の知識重視の傾向が弱まり、21世紀は心の時代、情の時代だと主張するもう一つの傾向とバランスのとれたものになるだろうと思います。このバランスが大切で、それが崩れるところから、いろんな問題が生じてきているように思います。
皆さんには、建学の精神のもと、究極の拠り所を求め、その究極の拠り所に立脚して生きることの大切さを学んだ皆さんには、知識という力を持った、責任ある者として人類の歴史に力強く関わって欲しいと思います。
このようにお願いして、皆さんの門出に対するお祝いの言葉といたします。 本日はおめでとうございます。
こちらは龍谷大学の学長、神子上 恵群学長が読み上げた卒業式のスピーチ挨拶です。
「知は力である」
ごもっとも。
参考までに・・・
龍谷大学HP
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02実例(参考に)

武蔵大学

卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。卒業式における学長のスピーチ挨拶は、このような言葉で始まるのが普通ではないでしょうか。しかしわたくしは敢えてこうした言葉でスピーチ挨拶をはじめたいとは思いません。何故か。
 スピーチ挨拶を書くにあたり、わたくしは卒業式とは、いったいどのような意味があるのかということから考えてみました。四年間学んだ先生とのお別れ、友との別れ、後輩やお世話になった職員の方々との別離、卒業式にはさまざまな別れの儀式があります。新たなる門出への祝いという意味もあるでしょう。ただ、そうした別れや門出の儀式だけが卒業式の意味なのでしょうか。他にも意味はないのでしょうか。今日ここには、同窓会の皆様やご父母の方々にご列席いただいています。武蔵大学で四年間学んできた皆さんの立派な姿を見ていただくために、お集まりいただいているのです。武蔵大学の卒業生として、一人前の社会人に相応しいかどうかを確認していただくためにお呼びしているのです。わたくしたち教職員の立場からすれば、このように見事に成長した教育の成果を見ていただくと言う意味が、卒業式にはあると思います。
 このような見地からもう一度卒業式を考えて直して見るなら、わたくしのスピーチ挨拶の意味も少し違って来るでしょう。
 わたくしのスピーチ挨拶とは、皆さんが武蔵大学の卒業生に相応しいかどうか、再確認するためのいわば最終試験といえるでしょう。四年前の入学式の折りの学長スピーチ挨拶が武蔵大学における皆さんの最初の授業だとするなら、これは皆さんが聴講する最後の授業なのです。その点をしっかりと心に刻んでおいて下さい。
 ところで、皆さんはデカルトとパスカルとういふたりの人物を知っていますか。
 この二人は共に十七世紀のヨーロッパに生きた偉大な哲学者で、デカルトは、理性と意志によって真理を探究していこうとする理性主義を確立し、近代合理主義哲学の父と称される人物です。一方、パスカルは、理性を超えて、心情において神を感じようとする意志を貫きます。こうした彼の神秘主義思想はデカルト的合理主義のもとに発展してきた近代西欧社会の矛盾を超克するものとして注目をされています。「デカルト的理性とパスカル的情念」は、西欧哲学の底流のひとつをなしているのです。
 この偉大なふたりの残した言葉に耳を傾けてみましょう。デカルトの残した最も有名な言葉に、「我思う故に、我あり」Je pense, donc je suis.というのがあります。また、パスカルは「人間は、自然の中で最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」。L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature, mais c’est un roseau pensant.という言葉を残しています。思想も気質も相反するふたりの偉大な思想家がともに人間の本質とは「考える」ことにあると言っているのです。ちなみにパスカルの主著『パンセ』とは、日本語でいえば「考えること」という意味にあたります。
 さて、目を我が武蔵大学に転じてみましょう。武蔵大学には、皆さんもよく知っているように建学の三理想というものがあります。
  東西文化融合の我が民族理想を達成し得べき人物を造ること
  世界に雄飛するにたえる人物を造ること
  自ら調べ自ら考える力を養うこと
 もう一度思い出してみて下さい。そしてこの中で最後に挙げられている「自ら調べ自ら考える力を養うこと」に注目して下さい。「自ら考える力を養うこと」とあるように、武蔵大学の教育理念の基本にも「考える」ことの大切さが挙げられているのです。このことをこれからも忘れてはなりません。わたくしたちが皆さんに四年間で教えられる「知」の数には限界があります。しかし「考える」力さえあれば、「知」は無限に膨らんでいきます。武蔵大学を卒業してからも「考える」ことだけは続けて下さい。「考える」ことを止めてしまえば、即人間として生きていく価値がなくなってしまうのです。
 しかし、「考える」ことだけでよいのでしょうか。「考える」ということを、イメージとして浮かべてみて下さい。ロダンの彫刻「考える人」を思い描く人もいるでしょう。また、国宝の第一号となった広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」を思い出す人もいるでしょう。これらの彫刻像に共通している点は、自らの心の内奥に思考の糸を深く沈めている姿を表現していることです。このような思考も時には必要でしょう。しかし、武蔵大学の卒業生としての皆さんには、「考える」前に「自ら調べる」という外に向かっての行動が要求されているのです。「行動」を伴う「思考」が必要なのです。調べて考え、また調べて考えることの繰り返しこそ、武蔵大学の新しい教育の基本的な理念である「知と実践の融合」のもつ深い意味に繋がっていくのです。ここで言う「実践」とは、社会に役立つテクニカルな技術の習得だけを意味しているのではないということを理解して下さい。第二次世界大戦後、戦争抑止に無力であった知識人たちが、その戒めをこめて「行動する知識人」と自らを呼んだように、皆さんは「行動ある考える人」であって下さい。
 わたくしたちはこうした考えの基に皆さんを教育してきました。そうした心を社会に出ても忘れてはなりません。昨今、「社会人基礎力」ということが話題になっています。これは、経済産業省が大手企業の人事担当者に社会人として求められる基礎的な力とは何かという問いを発し、その問いに答えたのが「社会人基礎力」なるものなのです。この問い掛けの裏には、偏差値の高い大学を出た学生が、企業に入って有能かというと、必ずしもそうではないという現実があるようです。では企業に入って必要な能力「社会人基礎力」とは、どのような能力なのでしょうか。
 第一に「前に踏み出す力」Action、次に「考え抜く力」Thinking、そして最後に「チームで働く力」Teamwork、この三つが「社会人基礎力」といわれているものです。このうち「考え抜く力」は、先ほど述べましたように武蔵大学の教育理念の根本であります。また、「前に踏み出す力」とは、三理想の「東西文化融合の我が民族理想を達成し得べき人物を造ること」と「世界に雄飛するにたえる人物を造ること」に具現化されています。「チームで働く力」については、が学内運動競技会や四大学運動競技会での皆さんの活躍を見れば申すまでもありません。またこの力は、「ゼミの武蔵」を標榜する我が校の学生にとって、自然と身に付く力といえましょう。このように武蔵大学では、開学以来、五十数年にわたり今日の社会が求める人材を養成すべく教育に力を尽くしてきました。皆さんの諸先輩が社会で活躍しているのも当然といえるでしょう。
 最後に、先日皆さんからいただいた桜の苗木を朝霞グランドに植樹して参りました。ここに改めてお礼申し上げます。今年は春の来るのが早いといわれています。おそらく今頃はかわいらしい花を一輪、二輪、咲かせているでしょう。桜の花びらは、ここにいる皆さんのように、やがて桜の幹を離れて大空に舞い上がるのです。桜の花びらは散るのではなく、春の青空に舞い融けていくのです。その大空には皆さんより先にすでに舞っている多くの先輩たちが待っています。今日、武蔵大学という桜木から皆さんが一片舞ったとしても、皆さんは孤独ではないのです。ひとりではないのです。このことを深く胸に刻んで、武蔵大学の卒業生としての矜持を忘れずに、胸を張ってこれからの人生を歩んでいってください。わたくしたちも皆さんに負けないようにこれからも美しい桜の花を咲かせていけるよう、努力していきたいと考えています。
 最後に一言、「きみたちは、自然の中で最もか弱いほんの一片の桜の花びらにすぎない。しかしそれは考える花びらなのです」。
 1,142名の一人ひとりの皆さん、本日は、本当にご卒業おめでとうございます。皆さんの門出を祝し、これからのご活躍を心からお祈りして、わたくしのスピーチ挨拶とさせていただきます。
デカルトの「我れ思う、故に我あり」という言葉。私も大好きで、当時美術部だったときボードの裏にラテン語で書きました。懐かしいなあ。
参考までに・・・
武蔵大学HP
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