02実例(参考に)
中央大学
本日は2005年度中央大学附属高等学校卒業式に当たり、来賓として学校法人中央大学総長永井和之先生、常任理事田口純輔先生、理事萩原静夫先生、経済学部長松丸和夫先生、並びに本校同窓会会長加藤孝様にはご多用のところご臨席を賜り、心よりお礼を申し上げます。また、本校後援会長山川仁様はじめ、本校に縁の深い皆様が多数ご列席下さいましたことに感謝を申し上げます。皆様を迎えて今年度卒業式を執り行うことは私どもの大いなる喜びでございます。
さて、今日晴れて卒業を迎えた男子生徒265名、女子生徒255名、計520名の卒業生ひとりひとりに心からお祝いを申します。ただいま担任からひとりひとり名前を呼ばれ、元気に返事をして起立する姿を目の当たりにしました。あなたがたの喜びに満ちた、誇らしげな表情を見て大変嬉しく思いました。また、3年間物心両面から支えてこられ、今日のよき日をお迎えになった保護者の皆様のお喜びもいかばかりかと存じます。心よりお祝い申し上げます。
ところで、今年も卒業生の90%を超える卒業生が中央大学への推薦を得て、この4月から中央大学で学ぶことになります。第一希望の学部・学科に進むことができた生徒がいる一方で、心ならずも第一希望が叶わなかった生徒もいます。各学部からの推薦受け入れ枠が厳然としてある以上、本校としては生徒の3年間の成績を根拠として、生徒の希望に応じて推薦をせざるを得ないのが実情です。
しかし、言うまでもないことですが、この推薦結果で将来が決まるものでもありません。例えば、大学卒業時の就職状況を見るならば明らかなことですが、最も重視されることは、就職希望者が大学でどのように学んだか、活動したかということです。学問を中心とする大学生活にいかに積極的に自分から取り組んできたかが第一に問われるのです。言い換えれば、自らの将来を見据えて、いかに真剣に取り組んできたかが問われるのです。そのように考えて、これから4年間の大学生活を将来にどのように繋ぐことが出来るかはひとえに自分の心がけに懸かっているのです。このことは、第一希望の学部・学科に推薦されたかどうかに関係なく大切なことです。希望が叶った諸君も叶わなかった諸君も、等しく大きな希望を抱いてそれに邁進してもらいたいと思います。
さらに、他大学進学を希望する生徒たちもいます。今年度は中央大学にはない学部・学科を希望する生徒たちが例年になく多かったことが目につきます。それぞれ理由があってのことですが、希望が叶うことを願っています。
また、今年は3度目の女子卒業生を送り出すことになります。私たちの期待に違わず、第1回および第2回女子卒業生たちは大学で勉学に励み、周囲の評価も大変高いことを私どもは大変嬉しく、また誇りに思っております。第3回卒業生であるあなた方がその評価を更に高くしてくれることを大いに期待しています。
ところで、私は校長として初めてスピーチ挨拶を述べたのはあなた方の入学式でありました。3年前のことでした。覚えてくれているひとがいるかどうかは知りませんが、よい習慣を身に着けることの重要性について述べました。つまり、私たちは決心とか、決意をすることは比較的容易なことです。けれども、決意によってのみ、事が成就するとは限りません。決意に基づく行為が習慣化され、当たり前のこととして行われることなしに、大きな希望も夢も現実にすることは出来ません。習慣が私たちのこころとからだに大きな影響を及ぼします。私たちは個性であるとか、才能であるとか、そのようなものは生まれつきのものであると考えがちです。しかし、個性も、才能も、その多くの部分が後天的に形作られるということを忘れてはなりません。習慣は第二の天性である、とはそういうことを意味しているのです。おおよそ以上のようなことを述べましたが、もうすぐ大学生になる卒業生諸君にそのことを改めて強く言っておきたい。
実を言えば、よい習慣こそ教育の根源であると元々述べているのはフランシス・ベーコンです。その著書『随想録』(1625年刊)のなかの「習慣と教育について」と題する1章においてです。私はこの書物を辞書を引き引き大学生の時に読んで大きな影響を受けました。その後40数年経つうちに、あたかも自分で考え出したことのように錯覚するようになっています。古典とはそういうものを言うのであると思います。ベーコンは約400年前のイギリスの哲学者です。学問上の論文を書くのであれば、引用を正確にすることは当然のことです。しかし、ベーコンのこの考えは私の一部となっていると言っても言い過ぎではありません。けれども、それも引用と言わなくてはならないのか、とふと思います。そして、やはりそれは引用なのだと確信します。つまり、私たちは数え切れない引用で自己というものを形成しているのだ、と。さらに言えば、ベーコンの考えもある意味で引用なのです。ベーコンはイタリアの政治哲学者マキャベリを引用しているのです。私はベーコンの文章を自分の一部として引用することにより、彼と同じ意識を生きることが出来ると考えるのです。そこに400年の時の隔たりも、文化・言語の違いもほとんど問題になりません。古典に学ぶ、歴史に学ぶとはそのようなことを言うのであろうと考えます。遠い昔に出版された書物が古典なのではありません。古くから読み継がれて、今もなお生命を保っている故に読まれるから古典なのです。人生で書を読む時間は限られています。そして、世の中には溢れるばかりの新刊書が流通していますし、勉強の必要に迫られて読む書物もたくさんあります。しかし、古典に巡り会って、自分のすべてをぶつけて読むことを心がけてもらいたいと希望します。手あかの付いた言い方ですが、心の糧となる書物を1冊でも持つことが出来る人は幸せと言えるでしょう。
世間では「今の大学生は…」、「今の若者は…」などとよく言いますが、気にすることはありません。エジプトの遺跡発掘で出土した碑文を解読したら「今の若者は…」と書かれていたという話もあります。そういう周りの人たちの言い草に幼児的に反発して、そのことによって存在感を示すだけの若者であってはわびしい気がします。本当にしてもらいたいことは、自己形成、自己実現を通して存在感を示して欲しいのです。そのためにも古典を読んでもらいたいと思うのです。
喜ばしい卒業式の場に相応しいことではないと承知していますが、苦言をひとつ申します。それは本校の地元での評判です。あまり芳しいものでないことはあなた方もよく知っていることでしょう。世間一般にはよい評判を得ているにもかかわらず、近所ではそうではないということはひとつ考えてみてよいことです。もちろん、学校の指導に不足している点があることは承知の上で申します。学校に寄せられる苦情の大半は生徒諸君の公共の場でのマナーの悪さについてですです。言うまでもないことですが、マナーのよい生徒が大半です。従って、そのような苦情を個々に取り上げれば、それほどのことではないという見方も可能かもしれません。しかしながら、人間関係にこれを当てはめてみればそうではないことが分かるでしょう。「近きより」ということばがあります。近いところで評判を下げれば、その人の信用は台無しとなります。大学は高校よりも範囲が広くなり、社会に出ればさらに広くなります。それに従って、評価は厳しさを増すのです。自分を律するという精神をしっかりと持って、大学生活を充実したものとされんことを強く望みます。
本校が謳う自由の精神は何者にも囚われない精神の活動を意味すると同時に、自由とは責任の別名なのであることもあなた方は学んでくれたことと信じます。中附スピリットである自由と責任を身に纏い、目の前に洋々と広がる未来に向けて、堂々と突き進んでくれることを私は教職員一同と共に信じています。
終わりにもう一度あなた方ひとりひとりに卒業のお祝いを申して、私の餞のことばとします。
参考までに・・・
中央大学HP
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