02実例(参考に)
武蔵大学
卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。卒業式における学長のスピーチ挨拶は、このような言葉で始まるのが普通ではないでしょうか。しかしわたくしは敢えてこうした言葉でスピーチ挨拶をはじめたいとは思いません。何故か。
スピーチ挨拶を書くにあたり、わたくしは卒業式とは、いったいどのような意味があるのかということから考えてみました。四年間学んだ先生とのお別れ、友との別れ、後輩やお世話になった職員の方々との別離、卒業式にはさまざまな別れの儀式があります。新たなる門出への祝いという意味もあるでしょう。ただ、そうした別れや門出の儀式だけが卒業式の意味なのでしょうか。他にも意味はないのでしょうか。今日ここには、同窓会の皆様やご父母の方々にご列席いただいています。武蔵大学で四年間学んできた皆さんの立派な姿を見ていただくために、お集まりいただいているのです。武蔵大学の卒業生として、一人前の社会人に相応しいかどうかを確認していただくためにお呼びしているのです。わたくしたち教職員の立場からすれば、このように見事に成長した教育の成果を見ていただくと言う意味が、卒業式にはあると思います。
このような見地からもう一度卒業式を考えて直して見るなら、わたくしのスピーチ挨拶の意味も少し違って来るでしょう。
わたくしのスピーチ挨拶とは、皆さんが武蔵大学の卒業生に相応しいかどうか、再確認するためのいわば最終試験といえるでしょう。四年前の入学式の折りの学長スピーチ挨拶が武蔵大学における皆さんの最初の授業だとするなら、これは皆さんが聴講する最後の授業なのです。その点をしっかりと心に刻んでおいて下さい。
ところで、皆さんはデカルトとパスカルとういふたりの人物を知っていますか。
この二人は共に十七世紀のヨーロッパに生きた偉大な哲学者で、デカルトは、理性と意志によって真理を探究していこうとする理性主義を確立し、近代合理主義哲学の父と称される人物です。一方、パスカルは、理性を超えて、心情において神を感じようとする意志を貫きます。こうした彼の神秘主義思想はデカルト的合理主義のもとに発展してきた近代西欧社会の矛盾を超克するものとして注目をされています。「デカルト的理性とパスカル的情念」は、西欧哲学の底流のひとつをなしているのです。
この偉大なふたりの残した言葉に耳を傾けてみましょう。デカルトの残した最も有名な言葉に、「我思う故に、我あり」Je pense, donc je suis.というのがあります。また、パスカルは「人間は、自然の中で最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」。L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature, mais c’est un roseau pensant.という言葉を残しています。思想も気質も相反するふたりの偉大な思想家がともに人間の本質とは「考える」ことにあると言っているのです。ちなみにパスカルの主著『パンセ』とは、日本語でいえば「考えること」という意味にあたります。
さて、目を我が武蔵大学に転じてみましょう。武蔵大学には、皆さんもよく知っているように建学の三理想というものがあります。
東西文化融合の我が民族理想を達成し得べき人物を造ること
世界に雄飛するにたえる人物を造ること
自ら調べ自ら考える力を養うこと
もう一度思い出してみて下さい。そしてこの中で最後に挙げられている「自ら調べ自ら考える力を養うこと」に注目して下さい。「自ら考える力を養うこと」とあるように、武蔵大学の教育理念の基本にも「考える」ことの大切さが挙げられているのです。このことをこれからも忘れてはなりません。わたくしたちが皆さんに四年間で教えられる「知」の数には限界があります。しかし「考える」力さえあれば、「知」は無限に膨らんでいきます。武蔵大学を卒業してからも「考える」ことだけは続けて下さい。「考える」ことを止めてしまえば、即人間として生きていく価値がなくなってしまうのです。
しかし、「考える」ことだけでよいのでしょうか。「考える」ということを、イメージとして浮かべてみて下さい。ロダンの彫刻「考える人」を思い描く人もいるでしょう。また、国宝の第一号となった広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」を思い出す人もいるでしょう。これらの彫刻像に共通している点は、自らの心の内奥に思考の糸を深く沈めている姿を表現していることです。このような思考も時には必要でしょう。しかし、武蔵大学の卒業生としての皆さんには、「考える」前に「自ら調べる」という外に向かっての行動が要求されているのです。「行動」を伴う「思考」が必要なのです。調べて考え、また調べて考えることの繰り返しこそ、武蔵大学の新しい教育の基本的な理念である「知と実践の融合」のもつ深い意味に繋がっていくのです。ここで言う「実践」とは、社会に役立つテクニカルな技術の習得だけを意味しているのではないということを理解して下さい。第二次世界大戦後、戦争抑止に無力であった知識人たちが、その戒めをこめて「行動する知識人」と自らを呼んだように、皆さんは「行動ある考える人」であって下さい。
わたくしたちはこうした考えの基に皆さんを教育してきました。そうした心を社会に出ても忘れてはなりません。昨今、「社会人基礎力」ということが話題になっています。これは、経済産業省が大手企業の人事担当者に社会人として求められる基礎的な力とは何かという問いを発し、その問いに答えたのが「社会人基礎力」なるものなのです。この問い掛けの裏には、偏差値の高い大学を出た学生が、企業に入って有能かというと、必ずしもそうではないという現実があるようです。では企業に入って必要な能力「社会人基礎力」とは、どのような能力なのでしょうか。
第一に「前に踏み出す力」Action、次に「考え抜く力」Thinking、そして最後に「チームで働く力」Teamwork、この三つが「社会人基礎力」といわれているものです。このうち「考え抜く力」は、先ほど述べましたように武蔵大学の教育理念の根本であります。また、「前に踏み出す力」とは、三理想の「東西文化融合の我が民族理想を達成し得べき人物を造ること」と「世界に雄飛するにたえる人物を造ること」に具現化されています。「チームで働く力」については、が学内運動競技会や四大学運動競技会での皆さんの活躍を見れば申すまでもありません。またこの力は、「ゼミの武蔵」を標榜する我が校の学生にとって、自然と身に付く力といえましょう。このように武蔵大学では、開学以来、五十数年にわたり今日の社会が求める人材を養成すべく教育に力を尽くしてきました。皆さんの諸先輩が社会で活躍しているのも当然といえるでしょう。
最後に、先日皆さんからいただいた桜の苗木を朝霞グランドに植樹して参りました。ここに改めてお礼申し上げます。今年は春の来るのが早いといわれています。おそらく今頃はかわいらしい花を一輪、二輪、咲かせているでしょう。桜の花びらは、ここにいる皆さんのように、やがて桜の幹を離れて大空に舞い上がるのです。桜の花びらは散るのではなく、春の青空に舞い融けていくのです。その大空には皆さんより先にすでに舞っている多くの先輩たちが待っています。今日、武蔵大学という桜木から皆さんが一片舞ったとしても、皆さんは孤独ではないのです。ひとりではないのです。このことを深く胸に刻んで、武蔵大学の卒業生としての矜持を忘れずに、胸を張ってこれからの人生を歩んでいってください。わたくしたちも皆さんに負けないようにこれからも美しい桜の花を咲かせていけるよう、努力していきたいと考えています。
最後に一言、「きみたちは、自然の中で最もか弱いほんの一片の桜の花びらにすぎない。しかしそれは考える花びらなのです」。
1,142名の一人ひとりの皆さん、本日は、本当にご卒業おめでとうございます。皆さんの門出を祝し、これからのご活躍を心からお祈りして、わたくしのスピーチ挨拶とさせていただきます。
デカルトの「我れ思う、故に我あり」という言葉。私も大好きで、当時美術部だったときボードの裏にラテン語で書きました。懐かしいなあ。
参考までに・・・
武蔵大学HP
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